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静岡地方裁判所浜松支部 昭和50年(ワ)207号 判決 1976年8月27日

原告

松井靖典

ほか一名

被告

白井敏子

ほか一名

主文

被告らは各自

原告靖典に対し 三六〇万七、二四五円

原告久恵に対し 一〇万五、〇三七円

を、それらに対する昭和四七年八月一二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を附して、支払え。

原告らのその余の請求を棄却する。

訴訟費用は二分し、その一を原告らの負担とし、その余を被告らの負担とする。

この判決は、原告らにおいて、その勝訴部分について、各被告に対し仮に執行することができる。

事実

一  当事者の求める裁判

(一)  原告ら

「被告らは各自、原告靖典に対し七六八万三、五〇〇円、原告久恵に対し二七万七、六九五円および右各金員に対する昭和四七年八月一一日以降支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。

(二)  被告ら

「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。

二  原告らの請求原因

(一)  (事故) 原告靖典(昭和三四年五月生)は、昭和四七年八月一一日午前八時一〇分頃、浜松市初生町一二六二番地地先国道二五七号線を自転車に乗つて南から北へ進行中、同国道を北から南へ走つてきた被告白井運転の普通乗用自動車と衝突し、そのため左大腿骨骨折その他の傷害を受けた。

(二)  (責任) 右事故は被告白井の過失によつておきたものである。その当時ははげしい俄雨が降つていて前方の見通しがわるかつたのに、被告白井は十分に前方を注視することなく走行し、前方から走つてくる原告靖典の自転車を発見するのが遅れ、事故を回避する措置をとる間もなく衝突させてしまつた。したがつて被告白井は民法第七〇九条によつて右事故による原告らの損害を賠償する義務がある。

被告堀内は右加害自動車の所有者であるから、自賠法第三条によつて、同じく損害賠償義務がある。

(三)  (損害)

(1)  原告靖典の損害

(a) 原告靖典は前記負傷のため、昭和四七年八月一一日から同年一二月一八日まで、昭和四八年二月一三日から同年二月二六日まで、同年三月五日から同年五月四日まで、合計一四四日間浅井外科医院に入院し、その間の退院している間六二日間は同医院に通院して治療を受け、さらに昭和四八年五月四日から昭和四九年四月一四日まで三四六日間浜松療護園に入院加療し、その後もなお通院している。その間骨髄炎を併発したこともあつて、左下肢過成長(左下肢が右より一センチ長い)左膝関節運動障害(屈曲自動九〇度、他動八〇度)等の後遺症を残している。その等級は一一級と認定された。

(b) 治療費 七二万六、三〇九円

内訳(イ)浅井外科医院入院、通院中の分 五〇万〇、〇〇〇円

(ロ)浜松療護園入院中の分で、自己負担分として県の西部児童相談所に支払つたもの 一〇万七、〇〇〇円

(ハ)右療護園入院中の父母の会々費 七、〇〇〇円

(ニ)右療護園通院中の治療費 一一万二、三〇九円

(c) 通院費(浜松療護園入院中、父母が看護のため通院した費用で、往復一〇〇円のバス代の一二〇日分) 一万二、〇〇〇円

(d) 付添看護料(浅井外科医院に入院中に六〇日、浜松療護園に入院中に一〇日、昼間は母が、夜は父が付添看護に当つたので、一日当り二、〇〇〇円として) 一四万〇、〇〇〇円

(e) 診断書料 四、〇〇〇円

(f) 入院雑費(入院期間合計四七八日、一日五〇〇円として) 二三万九、〇〇〇円

(g) 自転車購入費(本件事故により原告の自転車は大破し使用不能になつたが、原告は自宅から二キロメートル離れた高校に通学するのに自転車を必要とするので、新しく購入した) 四万三、五〇〇円

(h) 逸失利益(原告はこの事故にあわなければ高校卒業後直ちに就職し、六四歳まで働き、別表(一)記載のとおり平均給与および賞与を受けられたのに、事故による後遺症のため少くとも労働能力の一〇パーセントを喪失したから、別表(二)記載のとおり得べかりし利益を失う。)その額は合計すると 三六六万八、六九一円

(i) 慰藉料 三三〇万〇、〇〇〇円

内訳(イ)前記負傷により長期にわたる治療を受けなければならなかつた精神的苦痛に対して 一八〇万〇、〇〇〇円

(ロ)前記後遺症が残り、またいつ骨髄炎が再発するかも知れぬ不安に対して 一五〇万〇、〇〇〇円

(j) 弁護士費用(手数料一〇万円、謝金七〇万円) 八〇万〇、〇〇〇円

(2)  原告久恵の損害

(a) 欠勤による損害(原告久恵は原告靖典の母で、撰果機製造会社に勤めていたが、原告靖典の入院の看護、通院の付添その他病院での諸手続などのため欠勤を余儀なくされ、別表(三)記載のとおり、欠勤中の給料を失つた。)その合計額は 二四万七、六九五円

(b) 弁護士費用(謝金) 三万〇、〇〇〇円

(3)  損害の補填

原告靖典の上記損害は合計八九三万三、五〇〇円となるが、自賠責保険から一二五万円の支払があつた。そこで原告靖典の請求しうる損害は七六八万三、五〇〇円となる。

(四)  (請求) よつて原告靖典は被告両名に対し各自七六八万三、五〇〇円、原告久恵は被告両名に対し各自二七万七、六九五円およびそれらに対する昭和四七年八月一一日(本件事故の日)から完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

三  被告らの主張

(一)  原告らの請求原因のうち、

(一)(事故)の中の、原告靖典の受傷、その内容は不知、その他は認める。

(二)(責任)の中の、事故当時雨が降つていたこと、被告堀内が被告白井の運転していた車を所有して運行の用に供していたことは認めるが、その余は否認する。

(三)(損害)の事実は知らない。

(二)  本件事故は原告靖典の過失によつて生じたもので、被告らには責任はない。原告靖典は道路の左側を通行すべきであるのに右側(東側)車線内、つまり被告白井の走行車線内を、しかもその車線の東端から二メートルも内へ入つた所を走つていた。その上雨をよけるため顔を下へ向けていて、前方の注視を怠つていた。他方被告白井は事故現場の手前で東端に停車して人を乗せてから、後方から接近してくる後続車がないかどうか確かめつつ、徐々に自分の車線の中央寄りに斜めに進行していたとき、車道の東端から二メートル入つた地点で原告靖典の自転車と接触した。被告白井としては、自分の走行車線の前方から原告靖典が走つてくるとは予期しなかつたし、その予期しなかつたことが被告白井の過失であるとはいえない。なお原告靖典が東側車線の東端を走つていたというのは信用できない。

(三)  原告ら主張の損害について

(1)  原告靖典はまだ若いのでその後遺症が将来回復する見込があるから、稼働可能年数全てにわたつて労働能力が同じように喪失されるとみて逸失利益を算出するのは妥当でない。

(2)  右逸失利益の算出に当つてはホフマン式ではなくライプニツツ式によるべきである。

(3)  原告久恵の欠勤による損害は原告靖典の付添看護料の請求と重複する。

(四)  過失相殺

仮りに被告白井に原告のいう過失があつたとしても、原告靖典には前記の過失があるから、損害額の算定に斟酌すべきである。そして両者の過失の度合は原告靖典の過失の方が被告白井のそれよりも極めて大である。

四  原告らの反論

本件の衝突は東側車線の東端から五〇センチ位入つた所で起きた。被告らのいうように原告靖典が東端から二メートルも入つたところを走つていたり、被告白井が車線の中央寄りに斜めに進んでいたということはない。原告靖典は、東側車線の東端から五〇センチ内へ寄つたところに白線がひいてあつて、その上を自転車で走つていた。被告白井の自動車は左車輪をその白線にかけながら走つてきた、原告は一瞬自分がセンターライン寄りに寄るべきかと考えたが被告車の後方から別の車が走つてくるので、そのまま白線上を進行したところ被告の車もセンターラインの方へ寄ることなく直進してきて原告の自転車の前部と被告車の左前バンパーが衝突した。

五  証拠〔略〕

理由

一  事故の発生

原告靖典が、昭和四七年八月一一日午前八時一〇分頃浜松市初生町一、二六二番地地先国道二五七号線を自転車に乗つて南から北へ進行中に、同国道を北から南へ走つてきた被告白井運転の普通乗用自動車と衝突したこと、は当事者間に争いがない。

原告久恵本人尋問の結果によつて成立が認められる甲第四号証と原告ら両名各本人尋問の結果とによれば、原告靖典が右事故によつて左大腿骨骨折などの傷害を受けたこと、が認められ、これに反する証拠はない。

二  事故の責任

(一)  証人堀内典子の証言、原告靖典および被告白井各本人尋問の結果(以上いずれも後記信用できない部分をのぞく)に弁論の全趣旨を加えると、次の事実を認めることができる。

(1)  事故現場は歩車道の別があり、歩道は車道から一段高くなつていて、その境目は段をなしている。車道にはセンターラインがある他、歩道から五〇センチはなれて平行に白線がひいてある。

事故当時はドシヤ降りの雨降りであつた。

(2)  原告靖典は、当時釣りの餌を買いにいつた帰りで、国道の西側車道端を南から北へ自転車で走つてきたが、雨がはげしいので前方四十数米先の国道東側にある喫茶店ケルンの店先の庇で雨やどりしようとして、国道を東側へ横断し、さらに歩道へのりあげようとしたが、そこは車道から歩道へわたされた鉄板がなくて乗りあげにくかつたため、そのまま車道内の歩道沿いにひかれた白線の上を北進した。そして約一〇メートル位進んだとき前方約三〇メートル先のケルン店先附近に停車している被告白井の自動車を発見した。原告靖典は傘はさしていなく帽子をかぶりその庇で雨をよけながら、うつむき加減で走つていた。

(3)  一方白井は普通自動車を運転して国道を南進し、ケルンの店先附近で一度歩道わきに停車し、そこで知人を乗せて、再び発進し、ゆつくりした速度で走りながら、運転席の右のガラス窓をあけて首をだして後方をみて、一〇台位後続車をやりすごした。その間被告白井の車は東側歩道から五〇センチ位離れて真直に原告靖典の方へ進んだ。原告靖典も、白井の車がやがてセンターラインへ寄つていくものと思つて、そのまま直進した。被告白井は後続車をやりすごして前方を向くと、すぐ直前に原告靖典がせまつてくるのを発見し、急いで右へ避けつつ急停車の措置をとつたが、間に合わずに衝突してしまつた。

(4)  その衝突は、被告白井の自動車の左前照燈の下方と原告靖典の自転車の前輪がぶつかつたもので、東側歩道から車道へ約五〇センチ入つた、白線の附近でおきた。

(二)  以上の事実が認められるところ、被告らは右事実を争いことに衝突地点は歩道から車道へ二・一メートル入つた地点で、被告白井が歩道ぎわから順次センターラインよりに斜めに進んでいるところへ、原告靖典が車道へ二メートルも入つて走つてきて衝突したという。そして成立に争いのない乙第一号証の一、二、被告白井本人尋問の結果は右主張にそい、証人堀内典子の証言も右主張に近い。

しかし乙第一号証の一、二は被告白井のみを立会人として同人の指示説明によつて作成されたもので、特に現場に残されたスリツプ痕などの客観的資料もない。また証人堀内の証言では、衝突地点は歩道から車道へ一メートル入つた地点とされていて、被告白井の陳述や乙第一号証の一、二、と相異なる。乙第一号証の一、二によると被告白井走行車線の幅は五・四五メートル、被告白井の車の幅は一・四八五メートルであつて、被告白井が後続車を一〇台位やりすごす間に歩道から二メートルも離れてセンターラインへ寄れば、後続車の通る余地は約二メートルしか残らないことになるから、同被告はそのようなことはしないであろう。

それらの点を考え、かつ前記援用の証拠と対比すると、乙第一号証の一、二や堀内証人、被告白井の陳述中衝突地点に関する部分は信用できない。

なお、原告靖典本人尋問の結果のうち、同人が自転車で走つている間下方を向いてはいなかつたという点もはげしい雨がふつていたことからしてにはかに信用しがたい。

(三)  上記認定の事実から考えると、被告白井には前方不注視の過失がある。同人としては発進に当つては当然に前方に障害がないかを確かめる注意義務があり、そのときははげしい雨ふりで前方の見通しがわるかつたから、なお一層前方に気をつけるべきであつたのに、後続車をやりすごすことに気をとられて前方に対する注意を欠いたために、衝突直前になるまで原告靖典を発見できず、事故を回避することができなかつた。したがつて、被告白井は民法第七〇九条により原告らの損害を賠償する義務がある。

(四)  しかし他方原告靖典も、自転車にのつて車道の右側を通行したことおよびうつむいていて前方の注視を欠いたことに過失がある。

ところで問題は両者の過失の程度、その割合である。

原告靖典は自転車に乗つていたのであるから、その立場は、エンジンの働きによらないで人力に頼よる点で歩行者の場合に近い。そして歩行者と四輪車が車道上で衝突した事故で、歩行者が歩道があるのに、通行してはならない車道を、ただしその側端を通行していた場合、歩行者の過失は二〇パーセント、四輪車の過失は八〇パーセントと考えられている(判例タイムス〔編注:原文ママ 「判例タイムズ」と思われる〕三一三号九六頁参照)。もつとも、これと異なり、右の場合の歩行者の過失を六五パーセント(対向のとき)とみる考えもあるが(同上九七頁)、この考え方は歩行者が横断中四輪車と衝突した場合(歩行者の過失を二〇ないし三〇パーセントとみる)との均衡上妥当でない。

本件の場合を右の歩行者の例から推しはかると、当時のはげしい降雨のことをも考え、原告靖典の過失は四〇パーセント、被告白井の過失は六〇パーセントとするのが相当である。

(五)  被告堀内が被告白井の運転していた自動車の所有者であることは、当事者間に争いがない。したがつて被告堀内は自賠法第三条によつて原告靖典の負傷に伴う原告らの損害を賠償する義務がある。

(六)  被告らの右賠償義務は重なり合う部分について連帯債務である。

三  損害

(一)  原告靖典の損害

(1)  前出甲第四号証、成立に争いのない甲第五号証、第一二号証、原告靖典の負傷部位の写真であることに争いがない甲第一三号証の一ないし三に原告ら両名各本人尋問の結果を加えると、原告靖典の治療経過、後遺症について原告請求原因(三)(1)の(a)の事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

(2)  成立に争いのない甲第六号証の一ないし六六(療護園通院中の治療費)、第七号証の一ないし一二(療護園入院中の父母会費で入院に伴う必要経費と認められる)、第八号証の一ないし一一(療護園入院治療中の自己負担分)、第一四号証(昭和四八年九月二五日までに支払われた自賠責保険五〇万円)原告久恵本人尋問の結果および弁論の全趣旨によれば、原告の請求原因(三)(1)の(b)(治療費合計七二万六、三〇九円)の事実を認めることができる。

(3)  前出甲第五号証、弁論の全趣旨によれば、原告靖典が療護園に入院していた三四六日間のうち、父母が一二〇日看護のため通園し一日一〇〇円当り合計一万二、〇〇〇円の通院費を要したことが認められる。

(4)  前出甲第四号証、原告久恵本人尋問の結果によれば、原告靖典は浅井外科に入院中の七九日附添看護を要し、その父母が昼夜交替で附添看護をしたことが認められるので、一日当り一、五〇〇円とみて合計一一万八、五〇〇円の損害を受けたことが認められる。

(5)  甲第四、第五号証に弁論の全趣旨を加えると原告靖典の診断書料として合計四、〇〇〇円を要し、それだけの損害が生じたことが認められる。

(6)  甲第四、第五号証に弁論の全趣旨を加えると、原告靖典は合計四九〇日入院し、その間雑費として一日当四〇〇円合計一九万六、〇〇〇円を要し、それだけの損害を受けたことが認められる。

(7)  原告靖典本人尋問の結果とそれによつて成立が認められる甲第九号証の一、二によれば、同原告が本件事故により自転車を大破され、新たに通学用の自転車を代金四万三、五〇〇円で購入したことが認められるが、同原告は右出費に相応する自転車を取得したわけであるから、その出費をもつて損害というわけにはいかない。(大破した自転車の事故前の価格が損害となるが、その主張立証がない。)

(8)  逸失利益。原告靖典は昭和四七年八月の事故当時一三歳(中学一年)であつたから(成立に争いのない甲第一号証、第三号証による)、将来一八歳(高校卒業)から六七歳まで四〇年間稼働でき、その間毎年昭和四七年産業計、企業規模計、学歴計男子労働者全年齢平均給与額一三四万六、六〇〇円(給与額月八万八、二〇〇円、賞与額年二八万八、二〇〇円)を受けることができた筈である。ところが原告靖典は前記後遺症(一一級)のため労働能力の二〇パーセントを喪失するとみられ、毎年右給与額のうち二六万九、三二〇円づつを失うことになる。その合計額をライプニツツ方式(指数17.1510-4.3294=12.8296)で中間利息を控除して算出すると、三四五万五、二六七円となる。

被告らは原告靖典が年少であるから将来後遺症が回復する見込があるといい、前出甲第五号証には炎症完治後膝関節形成手術により屈曲障害が軽快する見込であるとあるが、具体的にいつ、どの程度に軽快するか明らかでなく、原告靖典には他に下肢の過成長も残るので、被告の右主張は採用できない。

(9)  慰藉料。上記の事実から考えると、原告靖典の本件負傷による慰藉料は一八〇万円、後遺症による慰藉料は一二〇万円とするのが相当である。

(10)  以上認定の損害は合計七五一万二、〇七六円であつて原告靖典の請求中右以外の分は認められない。

(二)  原告久恵の損害

原告久恵本人尋問の結果とそれによつて成立が認められる甲第一〇号証の一ないし三、第一一号証によると、同原告は原告靖典の母であつて、靖典の入院看護のため別表(三)記載のとおり勤務先の会社を欠勤し、そこに記載されている日給(なお、一、五〇〇円とあるのは、一、五五〇円の誤)を失つたことが認められる。

しかし被告らは原告靖典が請求する附添看護料と一部重複すると主張するので、重複する可能性のある日数として昭和四七年八月、九月分と一〇月のうち二一日分および昭和四八年二月のうち七日分(いずれも附添看護を認めた期間に属する)を前記甲第一一号証の欠勤日数から差引いて計算すると、原告久恵が失つた給与額は合計一五万八、三九五円となる。(昭和四七年八月から一一月までは一日一、五五〇円として計算)

(三)  原告らの上記損害を前記過失割合に従つて相殺すると、請求しうる分は、

原告 靖典 四五〇万七、二四五円

原告 久恵 九万五、〇三七円

となる。

しかし原告靖典が自賠責保険から合計一二五万円を受領していることは同原告の認めるところである。そうすると原告靖典の請求額は 三二五万七、二四五円である。

(四)  原告らの弁護士費用として、原告靖典の分三五万円、原告久恵の分一万円を認めるのが相当である。その余の請求は認められない。

四  結論

以上の次第で、原告らの請求は、被告らに対し各自

原告 靖典は 三六〇万七、二四五円

原告 久恵は 一〇万五、〇三七円

およびそれらに対する本件事故の日の翌日である昭和四七年八月一二日から支払済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、認容される。その余の請求は理由がないので、棄却をまぬがれない。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法第九二条、第九三条、仮執行の宣言について同法第一九六条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 水上東作)

別表(一)

<省略>

別表(二)

<省略>

別表(三)

<省略>

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